早稲田大学グリークラブOBメンバーズめん部について
- 2029/01/01
- 16:27
2003年から2004年にかけて公開していた早稲田大学グリークラブOBメンバーズめん部のサイトを復活することにしました。当時はしこしことソースを手打ちしながらハンドメイドなサイトでやってましたが、休眠している間に世の中にはブログというものが普及しましたので、手軽にできるブログで復活します。
早稲田大学グリークラブOBメンバーズというのは、20代のお兄さんから60代のおじさんまでが集まった男声合唱団です。
自分らは若いつもりでおりますが、世間一般から見ればほぼおっさんばかりです。その男声合唱団の中に、麺好きな連中がけっこうおりまして、歌の練習が終わったあとなどにうどん屋へ連れ立って行く習慣があります。その集団を称して「めん部」と言ってるわけであります。めん部と言いましても実際食べてるのはほとんど「うどん」であります。
なら「うどん部」でええやないかという異論もあろうかと思いますがあ、何故に「めん部」となったのか・・・
■めん部の誕生
そもそものきっかけは2002年の8月だったでしょうか。
私(H田)が以前からたまに立ち寄っていた新宿のうどん屋「一滴八銭屋」へ、練習帰りのOBメンバーズ数人をご案内したところ、「ンまい!」ということで、以来、OBメンバーズの一部の人たちの間で「一滴八銭屋」へ寄るのが習慣化しました。
それまでは練習のあと居酒屋で飲み、最後はラーメンでシメて帰るというのが、通例であったこの面々。-酔っ払って街中を「ラ~メン、ラ~メン、ラ~メン…」(西条秀樹の「ブ~メラン、ブ~メラン」…のメロディで)
と大声で歌いながら歩くT内さんという人もいました- それからというものはラーメン屋へは一切寄り付かなくなり、練習後は必ずと言っていいほど居酒屋で一杯やったあと「一滴八銭屋」でうどん、が恒例となってしまったのですね。そのうちに一部の極端にハマりやすい人々は「練習後の居酒屋」さえも省略し、ダイレクトに「一滴八銭屋」を目指すほどになりました。この「一滴八銭屋に詣でる人々の集団」が、自然発生的に「うどん部」と自称するようになったのが、めん部の誕生というわけです。(「うどん部」が何故「めん部」になったのかは後述)
■一滴八銭屋
一滴八銭屋は、東京新宿と恵比寿に店をかまえる創作うどんと料理の店。愛媛県は川之江出身のご兄弟がはじめた店として、東京のうどん好きの間では有名な存在です。めん部部長を拝命したこのワタシ(H田)はそもそも讃岐の出身でありまして、「東京ではうまいうどんが食えない」と、ずっと思っていました。
1990年代の後半、銀座に「さか田」という今では有名になったうどん屋ができ、そこへしばらく通っておりましたが、そこ以外にうまい店はほとんど無いと思っていました。そのうちに「さか田」もあの「Dancyu」に紹介されたのをきっかけに人気店になり、予約はできなくなるわいきなり行ってもなかなか入れないわで、足が遠のいていたところでした。そんなわけでこの「一滴八銭屋」の登場は大変にありがたいことでした。「さか田」よりも店のキャパシティが大きいこともあって、大人数でない限りは行けばだいたい入れますし、うどんも料理もうまいです。オススメ。
■そば部の台頭~「めん部」への改名
さて、あれは忘れもしない2002年の9月の何日ごろだったか。(忘れとるやないか)いつものように練習が終わって即「一滴八銭屋」を目指したうどん部メンバーは、なんなくテーブル席をゲット。ひとしきり飲んで食って、「さて、そろそろうどん行きますか」というタイミングで、どこかの居酒屋で飲んできたらしいOBメンバーズの「非うどん部員」が数名、後からやってきたのであります。どうやらいつも楽しそうにうどん食ってる「うどん部員」がうらやましくなったらしいのです。ところが運悪くこの時点で「一滴八銭屋」は満席。店に入れなかった数名の「非うどん部員」は、悔し紛れにその足でどこやらの蕎麦屋へ行ったらしいのであります。そして「一滴」に入れなかったことを恨んでか、「うどん部」に対抗して「そば部」を結成してしまったのであります。
翌日、OBメンバーズのBBSで「そば部結成」が声高に宣言されたのでありますが、結成されたわりにはその後まったく活動の気配がない。そこで寛容なる「うどん部」としましては「めん類皆兄弟」ということで、そば部とうどん部を合併させて「めん部」にするという作戦に出たわけであります。まあ、勢力的に言えば実質「うどん部がそば部を吸収合併した」と言っても過言ではないのですが、そこは他のめん類にも敬意をはらって「めん部」という名称にし、こんにちに至るわけです。
※以下は2003年公開当時の紹介文です。
早稲田大学グリークラブOBメンバーズというのは、20代のお兄さんから60代のおじさんまでが集まった男声合唱団です。
自分らは若いつもりでおりますが、世間一般から見ればほぼおっさんばかりです。その男声合唱団の中に、麺好きな連中がけっこうおりまして、歌の練習が終わったあとなどにうどん屋へ連れ立って行く習慣があります。その集団を称して「めん部」と言ってるわけであります。めん部と言いましても実際食べてるのはほとんど「うどん」であります。
なら「うどん部」でええやないかという異論もあろうかと思いますがあ、何故に「めん部」となったのか・・・
■めん部の誕生
そもそものきっかけは2002年の8月だったでしょうか。
私(H田)が以前からたまに立ち寄っていた新宿のうどん屋「一滴八銭屋」へ、練習帰りのOBメンバーズ数人をご案内したところ、「ンまい!」ということで、以来、OBメンバーズの一部の人たちの間で「一滴八銭屋」へ寄るのが習慣化しました。
それまでは練習のあと居酒屋で飲み、最後はラーメンでシメて帰るというのが、通例であったこの面々。-酔っ払って街中を「ラ~メン、ラ~メン、ラ~メン…」(西条秀樹の「ブ~メラン、ブ~メラン」…のメロディで)
と大声で歌いながら歩くT内さんという人もいました- それからというものはラーメン屋へは一切寄り付かなくなり、練習後は必ずと言っていいほど居酒屋で一杯やったあと「一滴八銭屋」でうどん、が恒例となってしまったのですね。そのうちに一部の極端にハマりやすい人々は「練習後の居酒屋」さえも省略し、ダイレクトに「一滴八銭屋」を目指すほどになりました。この「一滴八銭屋に詣でる人々の集団」が、自然発生的に「うどん部」と自称するようになったのが、めん部の誕生というわけです。(「うどん部」が何故「めん部」になったのかは後述)
■一滴八銭屋
一滴八銭屋は、東京新宿と恵比寿に店をかまえる創作うどんと料理の店。愛媛県は川之江出身のご兄弟がはじめた店として、東京のうどん好きの間では有名な存在です。めん部部長を拝命したこのワタシ(H田)はそもそも讃岐の出身でありまして、「東京ではうまいうどんが食えない」と、ずっと思っていました。
1990年代の後半、銀座に「さか田」という今では有名になったうどん屋ができ、そこへしばらく通っておりましたが、そこ以外にうまい店はほとんど無いと思っていました。そのうちに「さか田」もあの「Dancyu」に紹介されたのをきっかけに人気店になり、予約はできなくなるわいきなり行ってもなかなか入れないわで、足が遠のいていたところでした。そんなわけでこの「一滴八銭屋」の登場は大変にありがたいことでした。「さか田」よりも店のキャパシティが大きいこともあって、大人数でない限りは行けばだいたい入れますし、うどんも料理もうまいです。オススメ。
■そば部の台頭~「めん部」への改名
さて、あれは忘れもしない2002年の9月の何日ごろだったか。(忘れとるやないか)いつものように練習が終わって即「一滴八銭屋」を目指したうどん部メンバーは、なんなくテーブル席をゲット。ひとしきり飲んで食って、「さて、そろそろうどん行きますか」というタイミングで、どこかの居酒屋で飲んできたらしいOBメンバーズの「非うどん部員」が数名、後からやってきたのであります。どうやらいつも楽しそうにうどん食ってる「うどん部員」がうらやましくなったらしいのです。ところが運悪くこの時点で「一滴八銭屋」は満席。店に入れなかった数名の「非うどん部員」は、悔し紛れにその足でどこやらの蕎麦屋へ行ったらしいのであります。そして「一滴」に入れなかったことを恨んでか、「うどん部」に対抗して「そば部」を結成してしまったのであります。
翌日、OBメンバーズのBBSで「そば部結成」が声高に宣言されたのでありますが、結成されたわりにはその後まったく活動の気配がない。そこで寛容なる「うどん部」としましては「めん類皆兄弟」ということで、そば部とうどん部を合併させて「めん部」にするという作戦に出たわけであります。まあ、勢力的に言えば実質「うどん部がそば部を吸収合併した」と言っても過言ではないのですが、そこは他のめん類にも敬意をはらって「めん部」という名称にし、こんにちに至るわけです。
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